原神 メインストーリーについて

この会社のゲームのキャラデザ自体は以前から好きで、原神はPCでもプレイ化という事で最新のメインストーリーまでプレイしてみました。

 

ゲームとしては……まずオープンワールドオープンワールド言ってるけどあらゆる事に冒険レベルの制限が付いてるのにどこがオープンワールドなんだっていうのが先に来ますが、無料でこれだけのゲームが遊べるというのは実際問題すごい事だと思います。

 

ただ、結局ゲームの根幹にある内容が「プレイ時間を引き伸ばすための素材周回」なので、ある程度ゲームが進むと「他のソシャゲとやってる事変わんねえなあ」って結論になります(プレイ感は「一人がメインのMMORPG」って感じだと思うけど)。

 

んで、この原神、「原神はストーリーもすごい!」という紹介を見聞きする事も多いですが、メインストーリーの内容がどうかっていうと……自分的には「微妙よりの普通」って感じですね。

 

 

・主人公が悪い  

 結論を最初に言うと、メインストーリーが微妙な理由の8割型が主人公のせいです。

 

原神は、世界を構成する7つの元素を象徴とする7つの神が統治する世界「テイワット」を舞台としたファンタジーゲームです。

この世界では神に認められた者は元素を操る力、「神の目」を与えられ、彼ら神の目の持ち主がこの物語における主要人物。

7つの国は、神による統治を受ける一方で様々な問題を抱えているようで……というのが基本的な概要です。

 

が……主人公はこの舞台とは何の関係もありません。

 

主人公は妹(兄)と共に様々な世界を渡り歩いてきた存在で、たまたま辿り着いたテイワットという世界において正体不明の「神」に襲われ、戦いの結果力の殆どを失い封印されてしまい、目が覚めると現代のテイワットに一人でいた……というのがお話の導入であり主人公の背景です。

 

…………。

 

…………どういうこと?

 

主人公も正体不明だし状況も襲われる理由も不明だし戦った相手の神も正体不明だし、ついでに言うと導入で主人公からその話を聞いている相棒ポジションのパイモン(通称非常食)も正体不明の存在です。

 これからテイワットという世界で大冒険を始めるんだ!という導入部分でいきなり全然関係ない話をされるっていう。

 

主人公は様々な世界を旅してきたという経緯からか「旅人」と通称されるのですが、もしかすると全くの無知の状態で冒険を始めるプレイヤーと外からやってきた存在である主人公を重ねようとしているのかもしれません。

でももしそうだとするならその試みは大失敗だと思います。

 

テイワットという独自の要素で構築される世界をフラットな視点で冒険するには、この主人公の設定は存在が大きすぎます。

プレイしていて常に「いやこいつは誰なんだよ」っていう疑問が頭に浮かんで舞台やストーリーに集中出来ないですもん。

 

メインストーリーは行方不明になった妹(兄)を探すのが基本的な方針なのですが、プレイヤーからすると主人公は正体不明の謎の存在で、何者なのか、どんな人間で今までどんな旅をしてきたのかとかも一切語られないため、感情移入も全く出来ず、結果「いや、なんで俺がこいつの人探しのために頑張らないといけないんだよ」って気持ちになって、メインストーリーの大半の内容が『他人事』に感じてしまいます。

 

また、「RPGの主人公は無口」っていうお約束を考えなしで踏襲しているため、無駄にキャラとしての存在が大きいくせに作中では全然喋りません。

 

CVがあるんだから普通に喋らせりゃそれだけでも印象だいぶ違うだろうに、何故かメインストーリー中ではパイモンに進行を任せてだんまり。

それでいてイベントシーンの一部では普通に喋ってたり、キャラプロフィールのボイスでは普通にパイモンと会話をしていたり何がしたいんだか意味不明です。

 

……まあ、メインストーリーは基本フルボイスなので主人公二人分のCVを録る手間を惜しんだのかもしれませんが。

そうだとすると、豪華さを売りにしてる割に変な所でケチってるなぁって感じですが。(そもそも主人公の立ち位置が謎だから主人公選択の意味もあんまり感じられないんですけど)

 

相棒キャラのパイモンに関しても正体不明だと書きましたが、こいつに至っては見た目からして異質で、テイワットの人々から見ても謎な存在なのにも関わらず、「え、こいつ何者なの?」っていう疑問に対して深入りされない所が(言う人物はいるけど軽く流される)、「裏設定で色々あります、後半明かされます」ってのがあからさまでなんだかなあって感じ。

 

また、主人公のキャラ的な問題を置いておいても、「神が統治する世界で、その中で生まれる歪みと暗躍」というスケールの大きな話に対して、主人公の目的が「兄妹を探す」事っていうのはお話の動機付けとしていまいち噛み合ってないなあという印象。

 

自分を襲った「神」の謎を探るため、それぞれの国を統治する神に近づいて話を聞く、っていう流れはあるものの、そこで巻き込まれた結果、命がけで国に起こってる問題を解決する、って、主人公にそこまでしてやる義理はないよね、って思うし。

しかも、そこまでして会った神(現在2名)から話を聞いても、こいつら核心的な部分知ってるくせにそこらへんぼかして「続きは(旅を進めて)自分の目で確かめよう!」みたいな締めくくり方するから、なんか有益な情報を得られたって感じがしないんだよなあ。Vジャンプの攻略本かっつーの。

 

……と、「兄妹を探す」のが目的かと思われた所、2つ目の国、璃月(リーユエ)クリア後の話で兄妹と再開する形になります。「人類の敵」と言われたアビス教団の一員になっている、という形で、主人公とは袂を分かつ形に。

相手側が会おうと思えば会える、という事で、「兄妹を探す」という目的が実質的に消えた一方、お話の舞台における問題と主人公の旅路が繋がった形になります。

 

兄妹との再開を変に引っ張らなかったのは英断だとは思いますが、一方で、残り5つの国をめぐる旅が全て兄妹の後追いという形になるのはどうなんだろう?という所は気になりますね。

 

兄妹が絶望した理由である「神が統治する世界の歪み」を知る事になる旅、って事だと思うんだけど、なんか結論が分かってる問題を小分けにして出される形になりそうだし(そもそも5つの国更新するのに5年はかかる見積もり)、兄妹それぞれが見てきたものが同じでも、導き出す結果は違う、って流れになるんだろうけど、主人公が喋らないこの形式でその展開に説得力を持たせるのって難しい、っていうか無理じゃないかと思うんですよね。

 

あと、この世界の歪みを知って絶望し、それを破壊するにしても、それを阻止するにしても、そもそもの設定からして、テイワットからするとお前ら部外者だろって思うんですけど、そこらへん説得力のある形で描かれるんでしょうかね?

なんか最後の最後まで主人公の設定が足引っ張りそうな気がするんですけど。

 

 

ここからはメインストーリーの舞台となる各国(といってもまだ二つだけだけど)のストーリーについての感想。

 

 

・モンド

 ウェンティ(風神バルバトス)が、呪いで苦しめられ続けているかつての友のトワリンを救い出そうとする、というシンプルなプロットで変に回りくどい描写もないため、特別面白いとまではいかないけど普通に見れる内容。

 

ただ、後々の話を見た感じ、原神のメインストーリーっておそらく「それぞれの国が神の支配から離れる」までの流れを見せていく形になると思われ、最初の国でありプロローグであるモンドでは「既に神が去った国」という形にしたんだろうと思うんだけど、その割に国で起こってる事件を解決したのはほぼウェンティ(風神バルバトス)と旅人なのはどうなんだろう?って思う所はありますね。

 

ストーリーチャプターPV「足跡」のモンドの章のナレーションで「自由の神に命じられた自由は本当の自由と言えるのか」って語られてるんですけど、モンドのストーリーってそういう話じゃなかったよね。

 

そういうテーマを語るんだったら、事件を解決したのがほぼウェンティ、っていう話になっちゃってるのはズレてると思うし、「この国を生きる人々にとっての自由とはなんなのか」をもっと問いかけるような内容にするべきだったと思います。

 

人々が勝ち取った自由を象徴とした国、みたいに語られると思うんだけど、ストーリー見てる感じだと神がいないせいで統治の基盤がゆるくて危うい国って印象です。

んで実際危なくなったらバルバトス様が助けてくれた、っていう結果で終わるんじゃあねえ。

 

 

・璃月(リーユエ)

 テキストの大半が設定説明のせいで壮大なストーリーの割に微妙だったなーという印象。演出だけ盛り上がられてもなって感じ。

 

「対立していた仙人と璃月七星が手を取り合った!」っていうのを話のクライマックスにするんだったら、仙人と七星それぞれの立場や思惑、対立関係をもっと掘り下げるべきだったと思うんですが。

 仙人とは一通り顔合わせしたらその後最終局面まで出番ないし、七星にしても二人とちょっと顔合わせしただけで、その少し後のクライマックスではなんかもう和解してますみたいな空気だったし……

 

天空の宮殿「群玉閣」を犠牲にして魔神オセルを封印する、って流れも、凝光(ぎょうこう)の群玉閣に対する想いが分かる場面とかを描けば感動的な場面になったんじゃないかと思うんですけどね。

 後半に出てきてすぐぶっ壊れた印象だったからなんか出オチ感もあるし……むしろ、璃月に来た時に大きくクローズアップして「神が統治する国なのに、人間が権威を誇示してるのか?」というような話のフックにした方が良かったんじゃないかとも思います。

そうすれば後の仙人と七星の対立とかも見えやすくなるし。

 

他にも、仙人アンチの刻晴(こくせい)が出てきてから「仙人が大きな顔をしてる今の璃月はおかしい!」みたいな方向にいきなり舵取りされるのも「えっ?」って感じでした。

 

ストーリー中、鍾離(しょうり)の依頼で送仙儀式(仙人に対する葬儀みたいなもの)のための準備の品を集めるよう言われる流れがあるのですが、あれはおそらく旅人に対して「自分の目で璃月の暮らしや文化を知ってほしい」というような意味合いがあったと思うのですが、それらの流れを見ても、「璃月の人たちはみんな岩神を敬っていい感じに回ってるんだなあ」という印象だったので、刻晴の言い分に急に同調し始める主人公には違和感しかなかったです。

 

そもそも刻晴自体、出てきていきなり仙人に対する文句をくどくど言って、言うだけ言ったらとっとと去っていくから、「仙人と神の統治に疑問を持っている」っていう主張も記号っぽく感じる。

 鍾離……というか岩神モラクスも「いつかこうしなければいけないと思っていたのに、先延ばしにしていた」と語っているんですけど、「神が統治している事による問題」がロクに描かれてないのに話の上でだけでそういう扱いにされても困るんだよなあ。

 

 神の存在に依存している、みたいな所が描かれるならともかく、璃月の人たちって商魂たくましくてそういう不安は感じさせないし、むしろ神のいないモンドの方が国として不安を覚える部分が多かったような……

 

結局、鍾離の依頼の送仙儀式の準備がストーリーとして全然活きてなかったから、あれでまるまる1章使うんだったらもっと別の所掘り下げた方が良かったんじゃないですかね……(鍾離が岩神モラクスだから1章使って出番を作ったんだろうけど、描こうとしてる内容に対してバランスが悪い)

正直ここの章、「なんでメインストーリーで使いっぱしりさせられてるんだろう……」って思いながらやってたし。

 

全体的に、設定が先走りすぎな内容って印象でした。

 

このゲームの会社は凝った設定を作るのは得意なんだろうけど、それをストーリーとしてどう表現するか、っていうのは苦手なのかなあって感じがします(他のゲームのストーリーは実際に見てないから分からないけど)。

 

モンドがプロローグなのに対して璃月は第一章で、「神が統治する国」の問題について本格的に扱い始めた……って形のはずだと思うんですが、全体のテーマとして一番大事な「神が統治する世界」って部分が不透明で伝わらない内容になってるのって、正直この先についても不安を感じさせる部分ではあります。

 モンドについてもPVとの齟齬から、本来描くはずだったテーマを描けてなかったんじゃないか?って疑惑がありますし。

 

次の国の稲妻は、最初から明確に「神が強権を使って好き勝手やっている」という前情報のある国なので、神の支配による歪みはここから明確になりだすんだと思いますが……そこを見れば先行きがどうなるか大体分かりそうではあります。

進撃の巨人 最終話感想

同時掲載されているベストセレクションの話数が今見てもすごく面白くて、
相対的に「後半の話ってやっぱ面白くなかったな……」と再確認させられました。

「過去の話なんて今更見る必要もないな」って思ってたのに、目がページに吸い寄せられて、結局1ページ1ページじっくり読み進めてしまった。
最終話にはそういうの全く無かったですハイ。


全体を通した視点でも思う所は色々あるんだけど、とりあえず最終話について思った事を書こうと思います。


・エレンの思惑

結局、二転三転しましたがエレンの本当の思惑は最終回でようやく明かされました。

……が、その内容が結局読者が真っ先に考えるような内容(自分を犠牲にして仲間たちを守る)でしかありませんでした。

進撃の巨人後半はエレンが何を考えているのかが徹底的に伏せられていて、エレンが何を考えているのか分からない、そしてアルミン達もエレンの真意が分からないせいで行動指針を決められず右往左往。
そのせいで感情移入出来る対象がおらず、『主人公不在』の状況が延々続いていました。

進撃の巨人の後半の一番の問題点ってここだと思うんですが、エレンの真意が大したことのない内容だったため、エレンの真意をここまでひた隠しにする必要あった?って疑問に思います。

もちろん、このプロットだとエレンが何を考えているのかは最後まで分からない、という構成にしなくちゃいけないのは分かるんですけど、読者の感情移入対象を廃してまでやるべきプロットだったのこれ?
そもそものプロット構築の時点で間違えているような……


・未来視でたどり着いた結果

エレンは未来視によって巨人の力が消える未来を見ており、それを達成させるために今までの行いがあったのでした。

これを見て私は「今までの話一体なんだったんだよ……」って思いました。
なんかね、今まで登場人物が苦労してた事とか、払った犠牲とかも全部予定通りでしかなかったんだなと。

「決められた運命、定められた未来」っていうのは色んな作品で取り上げられる題材な訳ですが、基本的に「決められた未来なんて変えてやる!」って流れになります。

これって「親に決められたレールの上なんて嫌だ」というような話とも繋がるテーマだと思うのですが、誰かに決められた通りにしか行動出来ないのであれば、自分の意思は何のためにあるのか、自分が自分である意味はあるのかという、アイデンティティに関わる問題で、だからこそ色んな作品で描かれる内容だと思うわけです。

特に進撃の巨人なんて「自由」をテーマにした作品だったのに、『未来は最初から決まっていた』って最終回で言われて、作品全体を運命が支配してるのが明らかになるのって、あんまりにもあんまりじゃないですか?

(決めたのはエレンだけど、エレンは未来視の影響で自我の領域が曖昧になっていたので、「自分の意志で決めた」という形になっていない)


「自由を誰よりも求めたエレンが、実際は運命の奴隷だった」というような皮肉は一応描かれてますけど、なんかこれもイマイチ作品の中で活きてないですよね。

「今まで苦しかったんだね」とかアルミンに言われてましたけど、エレンの心情がひた隠しにされてたせいでそのエレンの苦しみを読者はあんまり感じられないし、「未来が視えるのであれば、他に方法があったのでは?」というような疑問も、漫画内で描かれないので解消されない。(よく言われる単行本の表紙がパラレル、って考察がそれなんだろうけど、変に裏設定を固めてるせいで作品内でそれを活用できなくなってる)


そして、結局作中で詳しい説明がなかったので良くわからないんだけど、前回のラストと今回の話を踏まえて考えると、「ミカサがエレンへの愛を貫くのを見て始祖ユミルが満足した結果、巨人化が消えた」という風にしか見えないんですけど……愛の呪いとか言うけど、巨人の力ってユミルの気持ち次第のものだったのかよとか、今までの死闘ってユミルにあの結末を見せるための茶番だったの? とか色々もやもやが生まれてきます。

というか、ユミルがあの結末でないと満足出来ないせいで、未来視に支配されてやりたくない事やらされて死ぬ結果になったんだとしたら、エレンは真っ先にユミルに対して怒りをぶつけるべきなのでは?



・エレンとミカサのラブストーリー(笑)

前回の時点でなんだこりゃ?って思ったんだけど、最終回ではそのミカサの行動が重要だとかいう話になってて、なんか良くわかりませんがミカサとエレンのラブストーリーみたいな感じで話が締めくくられました。

進撃の巨人ってそういう話でしたっけ?(笑)

いや百歩譲ってラブストーリーなのはいいけど、ミカサはねえよ。
ミカサって全編通してエレンエレン言い続けるだけの戦闘マシーンで、戦闘要員としては優秀だけどキャラとしての掘り下げは物凄く浅い。
初期メンバーなので読者としては愛着はあるけれども、キャラとしての魅力はぶっちゃけほとんどないんですよね。

そんなミカサを最後の最後で中心人物にして、しかも恋愛ストーリーとして締めようとしてるのを見て、「作者おかしくなったのか!?」って思いました。

そもそも、ミカサがエレンに依存してるのは明らかだとしても、それって男女の恋愛というような話だったのか?っていうのが疑問。
まあアニとかヒストリアに嫉妬する場面もあったけど、別にただの依存対象であったとしても嫉妬はするだろうし。

エレンに依存しきっている、っていうのがミカサのキャラとしての狭さの一番の原因なんで、エレンに罵倒されて自分の気持ちに迷いが生まれる、っていうのは、ミカサっていうキャラが変化するためのいいきっかけだったと思っていて、「ようやくミカサにもスポットが当たるのか」と思ってたんですけど、結局大した変化もなく「やっぱりエレンの事を忘れるなんて出来ない」って元の鞘に収まりました。なんだったんだろうこの話。

恋愛ストーリーにしてもそういう心情をちゃんと描いてくれれば感じ方は全然違ったんでしょうけど、最後の最後でいきなりそんな話されてもね。



・殺戮者になってくれてありがとう

地ならし発動後のアルミン達の行動の動機って、「人類を虐殺するなんて許される行為ではない」というものだったと思うんですけど、仮にもそういう動機で動いてた人間が、虐殺を肯定するような事言っちゃ駄目でしょ……

「8割方殺してるなら残り2割殺すのも変わらんやろ」みたいなコメントも見かけたけど、なんか最終的に「全滅させてないから虐殺も方法論としては許される」みたいな空気になってるのが理解できない。

「僕たちを守るために人類を8割殺すという大罪を背負ってくれた」という行為に対して「ありがとう」が言えるのであれば、「島を守るために外の世界を全滅させてくれる」という事に対して抵抗を感じて止めようとはしないんじゃないの?

なんか、最終的にこういうオチになるのが決まってたから、エレンを止めようとするアルミン達の動機付けを曖昧にしてたんじゃないか?
って邪推が働いてしまうんですけども。


エレンとアルミンは始祖の力を使って精神世界で昔と同じように語らい合う訳ですが、それを見て「ああ、色々あったけどエレンやアルミンは仲良しのままなんだ」というような微笑ましい気持ちではなく、「なんかキモいなこいつら」って感想が出てくるのは、エレン達3人って「外の世界」に出るのがそもそもの目標で、現実の世界ではエレンの行いで人類が大虐殺に遭ったりしてるのに、そういった外の世界に視野を向けず、「エレン、アルミン、ミカサの仲良し3人組の中だけで関係性が閉じてしまってる」のを感じるからなんですよね。

ミカサは論外として、エレンなんかも虐殺する人々に対して涙ながらに謝ったりしてましたけど、今回の様子を見るに、本質的に外の世界の人たちなんてどうでもいいと思ってそうだなと感じます。
まあエレンは「外の世界で人が生きてるのを知ってがっかりした」とか言ってたので、本当に身内以外はどうでもいいんだろうなとは思いますが。

『外の社会と相対した時の難しさ』を後半の話の主軸にしてた割に、外の世界がどうでもよく身内の中だけで関係性を閉じようとする3人を主人公にしていたのは失敗だと思います(進撃の巨人の後半は、こういう「やろうとしている事とそれを描く上でやってる事の矛盾」がやたらと多く感じる)。
アルミンがアニに惚れてる描写が出たのに対し、「頭ベルトルト」とか言われてましたけど、関係性を広げようとしてる分アルミンはまだまともなんだと思います。


最終回の描写やエレンとアルミンの会話が気持ち悪く思えるもう一つの大きな理由として、進撃の巨人って、巨人に対して無力に蹂躙されるだけの人間の怒りだとか、それに抗う意思なんかを描いてきた訳ですけど、その構図を逆転させて、「エレンが地ならしで無力な人間たちを虐殺する」という展開になった結果、「主人公のエレンに虐殺されるのはただのモブだからどうでもいいよね」みたいな構図が生まれてしまってる所です。

物語っていうのは特定の登場人物に焦点をあて、それに感情移入して見るというのが普通で、それ以外の人物は脇役かモブであり、はっきり言えばどうでもいい存在です(嫌な言い方だが、主人公がはっきりしない作品って焦点がぶれててとてつもなく見づらい内容になるので、これは一種の方法論なんです)。

進撃の巨人において、『主人公』であるはずのエレンがほとんどピーチ姫でろくな活躍シーンが無かったりするのを見ると、作者の諫山創さんは「主人公は特別で、それ以外は脇役」というような作りを嫌ってるんだと思います。

しかし、王道的な構図を逆転させた結果、その「主人公は特別で、それ以外はどうでもいい脇役」っていう作品を作る上での構図が、最悪な形ではっきりと表に出てきてしまってると思います。

「全人類の8割」っていう、犠牲者がただの数字になっちゃってるんですよね。
色んな人の営みがあって、虐殺される側の苦しみとか悲しみとか怒りとか色々あるはずなんだけど、「地ならし」という力によって「犠牲者」という平坦な情報に潰されてしまっている。
一応、以前のエレンが犠牲者にごめんなさいを言う回でそういう所を描こうとしてるんだと思うけど、最終回で「そうなっちまうもんはもうしょうがないよね」みたいな空気になってるのを見せられると、それも言い訳がましく感じるというか……言うだけなら簡単だよなっていう。

エレンの地ならしに対して、かつてのエレンと同じように怒りと共に立ち上がる誰かの姿、みたいなものを対比として見せないとフェアじゃないんじゃないかなあ。

結局、色々申し訳ない気持ちをエレンは言ってるけど、エレンはあそこで死んでしまう訳で、地ならしの被害に遭った人たちの感情の行き場がなくなってるのも酷いよね。
抵抗勢力を立ち上げた張本人のくせに、指揮官としての立場を放棄して死にに行ったハンジさんも酷いけど、エレンについても「死んで責任逃れすんなよ」って言いたくなる。

 

 


まあ最終回で感じた所はこんな感じですね。
他にも、「進撃の巨人で死者の霊的なもの出すなよ」みたいなのもありますが。

進撃の巨人って、「世界は残酷だ」っていうテーマ性と、少年漫画として「エンタメ性」の間で常に揺れ動いていた印象で、マーレ編以降は、「どう足掻いてもエンタメとしては成立しないテーマ」を持ち込んだ結果、まあ予想通りに収めどころが無くなって無茶苦茶になった、っていう印象です。

 

自分はハッピーエンドが大好きな人間ですけど、進撃の巨人に関しては、地ならしを始めた段階で、もうバッドエンドに舵を切る以外の道って無くなってたんじゃないかなあと思います。